「地域政策論」という講義

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佐藤 公俊 (高崎経済大学)

私は2006年度から地域政策学部というところで「地域政策論」という講義を担当しており、今年度は12回目ということになる。受講者は主に1年生であり、90分×15回=1350分話をする。講義の内容は毎年4分の1位ずつ入れ替えており、最初の頃に話したことで今も話していることはおそらく5分の1程度である。政治学や経済学のような「標準的なテキスト」がない学問の宿命であるが、講義をする私だけでなく、受講する学生も(特に期末試験前などは)大変である。

そもそも大学における「○○論」という名称の科目は、社会科学においては常識的に専門的かつ応用的科目である。そのような科目は、「○○学」という基礎科目を受講し方法論(ディシプリン)や制度論を学んだ後で3、4年生に受講して欲しいのだが、地域政策学部ではそれは無いものねだりである。無いものとは何かというと、結局のところ固有の方法論や制度論を持つ「地域政策学」なのである。そのため、私の所属する大学では代わりに「基幹教養科目」(公共哲学・法学・政治学・行政学・経済学・経営学・社会学・地理学・歴史学)という「○○学」群を設け、学生には1年次に複数を受講するように勧めている。しかしながら学生は「地域政策学部に入ったのだから、1年後期は地域政策論を取ろう」と自然に考えるし、その学生が4年生となり就活も終わり、突如勉学意欲に燃えて例えば「公共哲学と政治学をとってみよう!」となることも多い。逆にして欲しいのだが、なかなか思い通りにはいかないのである。

そのような状況の中で、「地域政策論」では「地域社会の問題を解決するための「諸」学問の固有の原理(方法論や制度論)」を教えるべきなのか、「地域社会の問題解決の実態(現象)」を教えるべきなのか。悩み続けた私は、毎年講義内容を変えてきた。もちろんいまだにしっくり来る答えは得られていないし、今年度も10年前以上に悩むかもしれない。いや、そもそも1000年経ってもしっくり来る答えに出会う可能性がないことは、2006年度からわかっていたことなのだ。しかしながら、最近の私の講義12年で生き残った5分の1の講義の内容は、「方法論であり現象でもあり、そもそもこのような2分法自体が間違いなのだ」という意味でしっくりきている。それは「協力」という概念をめぐる講義である。

公共政策や地域社会の運営は、もっともシンプルに表現すれば人々の間の「協力」である。したがって協力の可能性を高めることが社会的に重要になるが、これは主に経済学的(あるいはそれに影響された政治学的)な方法論であり、この概念はコミュニティを理論的に観察する際に威力を発揮する。また、この理論を説明するための好適な事例(エピソード)は世の中にたくさん存在する。私は好んで「知らない人とどの程度協力できるか」、「ソーシャルキャピタルと協力の関係性は」、「集団のサイズが大きくなると協力はどのくらい難しくなるか」、「ゲームを繰り返すと協力は実現しやすくなるか」、「協力の強制と村八分の関係やいかに」などの問を立て、理論と事例をバランスさせながら、地域社会の営みを解きほぐしつつ問題解決のための提言をさせる授業をしている。これがベストかどうかなど確信を持つことはできないままに、自分が納得できた「5分の1」を柱に学生に話し続けている。

「協力」について考え続けて辿り着いた答えは、理論や制度による分析ができなくては全くお話にならないし、地域社会の実態、人々の営みや心情が理解できないとこれもまたお話にならない、という当たり前のことである。以下は乱暴な印象論なので読み流していただきたいのだが、前者を重視する人は、後者について歯牙にもかけない。その一方で、後者に関る人は前者を肯定したがらない。学生には、「両方の思想と技術を理解できないと、世の中にでても大して役に立たないよ」と言うことにしている。過疎の地域に他地域から数世帯でも移住してくる人がいたとした場合、それを理論的制度的に分析する頭脳を持ちつつ、そのことの重大性を皮膚感覚で理解できる視野の広さや経験が、これからの日本の地域社会にはどうしても必要なのである。

「地域政策学」は教育をするにしても研究をするにしても、難しすぎる。教科書のない世界を切り開くのは、そしてその世界で学生の能力開発をするのは、凡人には辛い仕事である。しかしながら、地域社会の活性化の難易度を考えれば、地域政策学が易しい学問であるはずがない。そのように自らを励ましながら、今年度も「地域政策論」の講義に臨もう、そしてまた頭を悩ませよう、と考えている。

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