‘市民協働’の意味を考える

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櫻井 常矢 (高崎経済大学)

高齢化や人口減少に伴い、地域の暮らしをめぐる課題が深刻さを増しつつある。これらの課題はまた、行政だけの力では解決できないものが多くあり、むしろ地域・市民の取り組みによってこそ解決できる(している)ことに目を向けるべきである。課題解決型の地域力の醸成を含めた市民協働によるまちづくりが求められる理由がここにある。各自治体は今、条例、計画等の市民協働をめぐる制度化とともに、財政支援や人的支援策を取り入れながらこの新たなまちづくりを模索している。

他方で、行政内部の状況は必ずしもこの流れを力強く進めるものとはなっていない。平成の大合併からおよそ10年が経過するが、財政健全化を図るべく強力な行財政改革を進めてきた自治体は少なくない。結果として、例えば財政調整基金の積み上げは実現できたものの、職員数削減の一方で事務量の見直しが進まない中にあって、職員の疲弊感が増している現実がある。こうした職員の士気の低下を見過ごすことはできない。ましてその上に、市民との協働が新たな仕事として加わることで、これを負担感としてのみ受け取る職員がいることもまた事実である。行政職員は今後何を目標として頑張るのか。これからの行政の役割とは何であるのか。今、立ち止まって考えるときが来ている。

このことに関連して、市民協働を単に行政経費の削減策として位置づける自治体が多いことが気になっている。事業委託や指定管理者制度等によって、民間に‘何かやらせること’が協働であるとの誤解である。この課題意識はまた、パートナーである民間団体を下請けと位置づけるその姿勢にではなく、行政自らの今後のあり方に向けられるものである。例えば、公共施設の指定管理を民間事業者に委ねる場合、徐々に行政(職員)の経験知は縮小する。過去に管理運営経験のあった職員の退職も進むなかで、総体として行政能力は減退していく。民間運営後の行政の役割を問うとき、その業務評価(チェック)をスタート時点こそ掲げるものの、一定期間を経過すると評価の視点さえ失い、挙句の果てに評価そのものを外注するという始末である。ここに現れるのは、市民協働の名のもとに行政能力の低下が促進されるという矛盾である。地域・市民とともに、行政も何らかの役割を果たして初めて市民協働となるはずである。そして今求められるべきは、この能力低下を食い止めることよりも、行政の役割(仕事)を見直したり、新たに発見していくという前を向いた市民協働への理解である。

あらためて市民協働とは、行政の役割とは何かを問うことである。地域・市民の取り組みを促す前に、まずは行政(職員)の自己変革を追求することにこそ意味を見出したい。今後10年間の行財政改革もまた、‘削ること’によって負の側面をさらに助長するのではなく、むしろ行政職員がプライドを持って仕事をするための道筋をつけることにこそ重きをおくべきではないだろうか。

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