コロナ禍における災害対応の違和感

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安部 美和 (熊本大学熊本創生推進機構)

 新型コロナウイルス(COVID-19)が拡大していく最中、「こんな時に災害が起こったら、どんな対応をすることになるんだろう」という不安と「さすがにそんなことは起こらないだろう・・・起こってくれるな」という祈りにも似た気持ちで過ごしていた。残念ながら、令和2年7月4日、豪雨により熊本県内では県南地域を中心に65名の死者を出す被害が発生した。平成28年に発生した熊本地震の仮設住宅にお住いの方々が、熊本市内ではようやく災害公営住宅への引っ越しや自宅再建にこぎつけて生活を取りもどそうとしている矢先の被災だった。「なんで熊本ばっかり」というのが当初の正直な感想で、テレビから流れてくる被災状況と人吉市の市街地の光景に言葉をなくし、「コロナとどう付き合うか」で頭がいっぱいになったのを覚えている。

 コロナ禍での支援活動の開始は、容易ではなかった。ボランティアは県内在住者に限られる場合が多く、熊本市内でのコロナ陽性者が増え始めると自治体によっては被災自治体の住民に限って募集する場合も見られた。被災地で支援活動を行う自治体の応援職員や、取材活動を行うメディアの方に陽性者が出たというニュースは、あっという間に全国的に広がり皆さんの下に届いたのではないだろうか。

 「県内の住民に限る」ボランティアの募集に違和感を覚えるのは、今回ばかりではない。熊本県人吉市を例にすると、熊本市からボランティア活動に参加するより、宮崎県えびの市や鹿児島県伊佐市からアクセスする方がはるかに近い。人吉の方々とお話をしていると、最寄りの空港は熊本空港ではなく鹿児島空港となる。しかし、「県外」からの募集は受け付けていないため最寄りの県外からではなく、県内の遠くから人が集まってくる。県境をまたがないことに力を入れるより、日常の健康管理をしっかりやっているボランティアを集める方法を考えたほうがよっぽど安心ではないのだろうか。ボランティア活動に限らず、いまだに県をまたぐことがためらわれることになってしまっている。コロナ禍ではない時のボランティアの募集も同様だろう。最寄りの県外や最寄りの市外を線引き除外するのはなぜか。過剰なボランティアの集中を避けたいのは理解できる。しかし、その線引きが自治体の境界線であるべきなのかはもっと議論すべきだと思っている。

 今回、コロナの影響もあってボランティア活動に参加できる方が制限された。そのため現地ではボランティア不足との声が上がり、県知事がメディアを使ってボランティア活動に参加することを促している。同様に避難所運営にも影響が見られた。多良木町にできた球磨村の村外避難所は、従来のような体育館にたくさんのパーテーションが作られるのではなく、体育館もかなり余裕を持った使われ方をし、空き教室を利用した分散した避難所運営が行われている。しかし、空き教室が利用されている今回の事例は、避難所が廃校になった校舎を利用しているために教室が使える。通常業務を行っている公立の学校が避難所になった場合には、簡単に空き教室は出ない。では、コロナ禍の避難所運営は定員を引き下げれば正解なのだろうか。

 今年9月に発生した台風10号は、何日も前から過去最強クラスの台風であると予報され、地域によっては行政をはじめコンビニエンスストアに至るまでが休業を宣言することになった。被害は大きくなかったものの、私はここまで事前に対策できたことに気持ちよさすら感じた。一方で、テレビを見ていて感じた違和感がある。避難所の開設情報がリアルタイムで画面に映し出されていたのだが、すぐに「満員」という表示に変わるのである。そして、新しく開設される避難所の情報が表示される。コロナの影響もあり、避難所の収容人数を大幅に引き下げた結果で、誰もがコロナの影響を考えていたのは分かる。しかし、命を守るために避難所に行こうと思っても、最寄りの避難所が定員になってしまえば遠くに開設される避難所まで移動しなくてはならない。台風による命の危険が、コロナに感染するかもしれないというリスクに負けるのだろうかと疑問に感じた。そして、そんなに避難所を追加で開設して運営はできるのだろうかとも感じた。コロナだけではなく、今後もこうした感染症と付き合いながら災害対応がなされていくだろう中で、私たちを取り巻く災厄との付き合い方を今一度議論するべきではないかと思っている。

 今回の豪雨災害で被災された地域の方々へのお見舞いと、一日も早い復興を心から願っております。

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