新型コロナウィルスの影響が心配された今年の第71回さっぽろ雪まつりは、終わってみれば12日間で約202万人の来場者を呼んだ。地域に経済効果をもたらすこの祭りは、今や世界の3大冬祭りの一つに認められるほど成長し、国内外から毎年多くの観光客を誘致している。しかし、そもそもさっぽろ雪まつりは、昭和25年に市民の「雪捨て場」であった大通りに、地元の中高生が小雪像を6基のみ制作したイベントを発端とする。これは戦後の荒廃した世相に加え、寒くて暗くて長い札幌の冬に、なんとか楽しみを創出しようという発想が原点となっている。地域の厄介者とされ、捨てて余る程の雪を、資源として利活用したことが雪まつりの誕生に繋がった。
このような発想の転換を伴う「雪氷観光」は国内で多く創造されている。例えば青森県五所川原市の「地吹雪ツアー」もその一つだ。時に人命を奪う危険な地吹雪は、観光カリスマの角田氏による独自の発想と地域の積極的な取り組みによって、訪日外国人をも魅了する観光資源となった。驚くことにツアーでは、単に地吹雪体験を消費すること、それ自体が価値なのである。また、漁業被害等をもたらし、かつては「白い魔物」と地域で呼ばれたオホーツク海の流氷も、北海道紋別市の地域関係者の四半世紀以上に亘る継続的な取り組みによって、地元の見方が変わり観光資源化された。これらのプロセスには共通要因がある。資源論の大家であるジンマーマン(1985)は、資源化の過程には「文化的な欲望」や「科学・技術を含む能力」が含まれると示唆しているが、前述した雪氷観光創造プロセスにも該当する要因であることが調査を通じて分かった。
ところで海外では、北極圏に位置するスウェーデンのキルナ市に、世界最古とされるアイスホテルが今なお世界中のファンを惹きつけている。1990年、当ホテルの創始メンバー代表のイングべ氏は、極寒で極夜の冬季間に、目の前に流れるトルネ川の天然氷の可能性を追求し、誰も想像し得なかった氷のホテルを創業した。極寒の中、一体誰がわざわざ寒い氷の部屋に泊まるのか。いやしかし、実際に予約は殺到している。現場で宿泊者の声を聞いてみたが、例えばオーストラリアから来た恋人同士は、一生の記念にどうしても氷彫刻の幻想的な部屋を体験したかったと言う。市長曰く、キルナ市の冬はかつて地元民しか歩いてなく、今と違って閑散としていた。個人の常識破りの発想から一連のプロセスを経て冬の地域づくりに発展した顕著な事例である。ちなみにイングべ氏は、1988年の第39回さっぽろ雪まつりを訪れ、感銘を受けたことが着想のきっかけになったと教えてくれた。もちろん試行錯誤の末の「雪氷建材」による建築技術の蓄積も彼らは怠ってはいない。
こうしてみれば、雪氷観光の創造プロセスは、北方圏の寒く暗く閉ざされた冬季の地域を明るく活性化させる地域づくりと連動している。地域政策に関わる私たちにとって、この創造プロセスが具有する一連の活動の特徴と促進要因を理解し、認識することは重要だと考える。そして、どんなにネガティブな状況でも見方をポジティブに変えることが可能だと信じることから始めたい。例えば2014年、当時の石破地方創生担当大臣は、「人口減少・超高齢化というピンチをチャンスに変える」ことが必要だとコメントしている。地域づくりを持続的に促進するためには、各地域の個性に応じ、このような思想を共通認識として私たちの根底に据えることが求められるのであろう。