国土計画への無関心問題について

2023年2月1日

佐野 浩祥 (東洋大学)

 戦後国土計画における拠点開発政策をテーマに博士論文を執筆したのが2006年、それ以降、日々の生活の中で国土計画という言葉を聞くことはめったに無くなった。地方都市出身である私は、成長の過程で中心市街地が年々シャッター商店街化していく様子を肌で感じ取ったことが原体験としてあり、前述のようなテーマに至ったのであるが、その後の国土計画の展開を見ていると、無力感に苛まれてしまう。

 ご承知の通り、2005年に戦後開発行政の根拠法となってきた国土総合開発法が全面改正されて全国総合開発計画(全総)は廃止、開発志向から成熟社会型の国土計画として、現在第3次国土形成計画が策定されているところだが、ほとんどニュースにもならない。多くの国民は国土計画に対して無関心であることの証左であろう。

 私自身は、人口減少時代に突入したわが国において、持続可能な国土空間を構想する上で、国土計画の意義は以前にも増して重要になっていると考えている。総合性と長期性をあわせもつ国土計画は、私たちが漠然と感じている将来への不安、例えば巨大災害への対応や気候変動、地方消滅などの問題を包含し、将来世代にどのような国土を受け渡したいのかについて、誰もが議論に参加できる場になり得るだろう。

 一方で、国土計画はとかく批判されやすい。開発志向の時代は、公害問題や環境破壊、過疎・過密の問題、開発投資をめぐる政・財・官の癒着、中央集権的な意志決定プロセスなど、批判が相次いだ。国土計画の変遷を見ていると、その批判を恐れてか、時代を追って抽象的な表現、玉虫色の表現に変わってきたように感じる。今度の国土形成計画も、官僚の推敲によって、批判点を絶妙に避けるようなものになるのだろう。そのため、批判されないどころか、メディアの注目を集めることもなく、多くの国民の目に触れることのないまま、その役目を終える…それで良いのだろうか。

 和を以て貴しとなす私たち日本人は、昔から批判を避けてきたようだ。東島誠・與那覇潤「日本の起源」によれば、批判を避けるために自ら決断せず、世間の空気を読む姿勢は、古代の豪族から戦前の元老政治にいたるまでこの国の社会に埋めこまれてきた感覚である、という。丸山真男が指摘した「無責任の体系」にも重なる。その感覚は、SNSでの炎上を避けながら投稿する一般市民の中でさらに研ぎ澄まされているのではないか。

 少し話が逸れてしまったが、いずれにしても、国民の国土計画への無関心は大きな問題であり、そのためには批判を恐れずに、メディアや国民が自分事として感じられるようなリアリティのある計画を望みたい。あえて炎上商法を取り入れる必要はないが、無関心からは何も生まれないのである。

 まずは、私自身が批判を避けるようなポジショントークを慎まなければならない。ということで、会員諸氏からのご批判をお待ちする次第である。

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