150年足らずで近代化した日本は、古いものを捨て、利便性、効率性を優先してきた。明治国家では、文化も西洋列強に追いつくための重要なツールであった。「文化」という言葉自体、「文明開化」に基づく造語である。第二次世界大戦後は、「文化的な国家」がスローガンとして掲げられたが、実際は経済発展にまい進、文化は、ともすれば開発との対立軸の中に位置付けられてきた。
しかし、経済社会の成熟は、生活の質の向上を求める人々のニーズを顕在化し、地域文化の再認識を促した。さらに、グローバリゼーションの進展で、従来型の企業誘致による地域発展が難しくなり、内発的な発展の必要性が改めて痛感され、文化観光を含め文化産業等にも関心が寄せられるようになった。世界的にも、都市間競争の激化に伴い、美しい景観、上質なレストランやカフェ、芸術等の文化的環境が人を惹きつけるという認識が広がり、クリエイティブ・クラスと呼ばれる卓越した才能を持ち大きな経済的価値を生み出す専門的職業人-エンジニアや建築家、芸術家、投資銀行家等-を呼び寄せる創造都市こそが発展するという考えも示された。一方、産業空洞化や雇用喪失に直面する欧米諸国では、成長セクターとしての創造産業への期待は大きく、EU産業政策の主要な対象でもある。
日本でも創造都市論が紹介され、クールジャパン戦略も導入された。ただ、統計データからは、少なくとも日本では、21世紀初頭、全産業で生産が微増する中、いわゆる創造産業は停滞、中核をなす動画やゲーム等のコンテンツ産業の市場規模も10年以上約12兆円程度、GDPの3%を超えることはない。文化と創造性、経済を結びつける考え方は魅力的だが、実際、全産業で創造性が重要となる中、どの職業、産業が創造的なのか、線引きすること自体容易ではない。むしろ、これらの議論の提要は、機能性だけでなく感性の重要性を再認識することにあるのではないだろうか。そして、これらの活動はAIで代替することは難しい。
急激な人口減少下、右肩上がりの経済の枠組みを離れ、今一度地域の力を取り戻す必要がある。これまでの研究からおぼろげに見えてくる方向性は、新たな価値創出、関心のある人々による支援、他の政策との連携である。先人が残した文化的ストックは、心の豊かさをもたらし、人を育て、新たな文化的価値を創出するための基盤である。このことには多くの人が賛同するが、実際の文化支援に当たっては、文化に特別に関心を寄せる一部の人々からの支援が欠かせない。そして、産業やまちづくりと連動しながら、これら文化がもたらす便益を人々の生活を豊かにし、地域の魅力を高めることにつなげることができれば、各地域が内発的に発展する一助にもなるのではないだろうか。そのためには、文化を含め多様な施策を長期的な視野に立って総合的に組み合わせていく地域戦略が求められよう。