地域社会によるケアと政策

2024年1月9日

東根 ちよ (大阪公立大学)

 子どもを育む取り組みが根づく地域には、日常的に子どもの「そばにいる」地域の大人がいることに加え、その地域の人にとってそれらの取り組みは「あたりまえ」であることが共通している。

 たとえば、山陰地方に「住みよい町・子どもたちのふる里づくり」をコンセプトに地域づくりが始まった、人口1,200人ほどの地域がある。この地域では、日々地域の子どもの見守りや体験活動が行われるほか、大人が常駐する地域拠点では学校帰りの子どもたちが立ち寄りおしゃべりする風景が日常になっている。そして、このような「そばにいる」大人の存在が、子どもが学校での「つまづき」を乗り越えることにつながったり、ふとした悩みの見事な「壁打ち相手」になったり、複雑な家庭環境から逃れる先になったりするというような、地域社会による無数のケアの場面に遭遇する。

 一方で、このような、地域にとっては「あたりまえ」の「そばにいる」取り組みと「政策」は、必ずしも相性が良いものではない。近年、休眠預金活用事業による地域の居場所づくりの評価に関わるなか、それを体感する。エビデンス重視の潮流においては、居場所(と呼べる場所)の数や、参加者や運営者の人数のほか、とりわけケアに関わる領域では専門機関につながる事例などが、事業の価値を示すための指標として用いられやすい。しかし、そのような評価の傾向のもとでは、新しく立ち上がったわけでもない、「あたりまえ」の「そばにいる」だけの、専門機関につなげることを特段意図しないケアの取り組みは評価のレールに乗ることができず、こぼれ落ちてしまう。

 このような現象について、ケアを地域社会全体の一つの文化体系として捉える重要性を指摘したクラインマン(医療人類学)は、「ケアのあるべき姿についてのもっとも重要な論争は、ケアの組織化、提供、受容、評価の在り方に関わるもの」であり「ローカルな道徳的・人間的世界」の重要性は共通認識になっていないと指摘する(アーサー・クラインマン他『ケアをすることの意味』誠信書房,2015年)。

 一方で、現代社会のケア領域に政策は不可欠である以上、事業の価値を示すことも求められる。そのようななかにおいては、ローカルな地域社会で行われる取り組みの質感を、どのように取りこぼすことなくすくい上げることができるかが、地域社会によるケアと政策を考えるうえで重要な論点であるように思う。

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