地域防災とまちづくり

2023年6月1日

伊藤 亜都子 (神戸学院大学)

 このところ、地震が多い。5月5日に石川県能登地方で最大震度6強の地震を記録し、その後も能登地方だけでなく、全国各地で頻繁に発生している。地震大国の日本では、いつどこで大きな地震が起きてもおかしくないそうで、次の南海トラフ大地震の起きる確率も、気象庁によれば今後30年以内に発生する確率が70から80%と、切迫性の高い状態である。
 地震だけでなく、日本は豪雨や台風による水害も毎年のように発生しており、こちらは温暖化の影響で近年激しくなっている。

 防災には、自助・共助・公助という考え方があり、そのなかでも自助・共助が非常に重要で約7~8割を占めると言われる。これは、阪神・淡路大震災のときに建物の下から救出された人々の7割~8割が家族や近隣の身近な人々によって助けられたことによる。阪神以降の大災害でも、あるいは今後来るであろう災害に対しても、個々人の備え(自助)に加えて地域の防災力(共助)が重要であること、行政(公助)を頼りにすることには限界あることは、共通の認識になっていると言える。

 このように地域防災への期待が大きい一方で、人口減少や高齢社会が進むなかで地域コミュニティを構築して地域防災力を高めることはますます難しくなっているのが現実である。防災訓練を実施しても、参加する住民は一部の常連である。

 最近では、そのような現状も踏まえて、日常の多様な地域活動の積み重ねのなかに防災も組み込んでいくという考え方がある。災害研究の専門家でもある渥美公秀教授(大阪大学)は、「本来防災活動ではない地域活動に防災をそっと盛り込むことによって、地域防災を進めようとする活動」として「防災と言わない防災」を提唱している(『地震イツモノート』ポプラ文庫)。学校の運動会、地域の夏まつりなどにひと工夫して防災のエッセンスを加えるというものである。

 「防災と言わない防災」、「結果防災」をずっと以前から実践してきた事例として、神戸市長田区にある真野地区の取り組みを紹介したい。真野地区のまちづくりの歴史は長く、1960年代にさかのぼる。当時から住商工が混在する当地区では、振動、悪臭、ばい煙などの公害が発生したことに対して、試行錯誤しながら地元の企業と対話を重ね、協力も得ながら公害問題に取り組んだ。70年代からは住環境整備と緑化活動に加え、全国でも先駆けて高齢者への友愛訪問、給食サービス、入浴サービスなどの地域福祉を展開した。1980年代には、総合的、長期的なまちづくりを検討し、地区計画を決定、実行している。

 こうした長年の積み重ねは1995年の阪神・淡路大震災でも地域コミュニティの力を発揮した。出火に対して、住民によるバケツリレーで延焼を食い止め、地区内の工場の機械や地下タンクの水を利用するなど、町工場との連携を見せた。避難所では、当日から炊き出しを始め、その日のうちに普段の活動の延長として高齢者の安否確認を行った。最近では、津波防災マップをつくり、足の不自由な高齢者も含めた全員の安全な避難について実践的に取り組んでいる。地域コミュニティ活動の継続的な蓄積が結果的に災害にも対応できる地域防災力を備えているというお手本のような事例としてよく知られている。特にこの地域は、大正時代にこの地で創業した三ツ星ベルトという地元企業も地域の一員として地域の会議やイベントにも参加している点が心強い。

 防災は、福祉、教育、環境、ジェンダーなど分野横断的なテーマであり、「自分のまちは自分たちで守る」というまちづくりの基本がわかりやすく含まれている。防災活動からはじめて、まちづくりの総合的な取り組みにつなげることも可能だろう。地域防災にも、コミュニティづくりにもうまくいく特効薬はないが、工夫してできることを一つずつ積み重ねていくと大きな力につながる・・・かもしれない。

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